子どもやペットにやさしい女性建築士 堀澤理恵

リフォーム・インテリアや趣味を中心にお話します。

その時は苦しくても、いまが幸せだったら「経験」も宝物

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その時は苦しくても、いまが幸せだったら「経験」も宝物

 

むかしむかしそのむかし。東京で保育士をしていたころのはなし。もともとは体育科のある高校の陸上部に所属していたので、目指していたのは「体育の先生」でした。しかし、高校3年の秋に大怪我。

 

やむなく「体育の先生」は断念して母の妹(叔母)が通っていた保育士の学校を受験しました。実技試験もありましたけど、小さい頃からピアノをやっていたおかげ?で絵もピアノもなんとかクリア。

 

そのまま卒業して、東京の江東区の保育園に就職しました。勤務した保育園は「障害児と健常児が混じっている保育園」はじめての担任は4歳児で保育士は主任とわたしと、男性の保育士3人。

 

20人くらいの園児に障害児が5人くらいいました。なので国からの補助があって、他にもパートの人が数名いたので、0才〜5才までの園児100人に対して保育士がたくさん。

 

早番や遅番があるので全員が顔をあわせるのは月に数回。そのほかにも栄養士や調理師、看護士や心理カウンセラーなどの職員がいて、狭くて小さな下町の保育園でしたけど、大所帯でした。

 

2年目からは0歳児〜1歳児〜2歳児と持ち上がりで担当して、当時1歳児を担当したときに、わたしも出産したので、子育ての練習ができて、若いなりにもそれなりに子育てできていたかなと。

 

保育士には産休と育休も1年ほど認められていましたが、すっごく貧乏だったので、わたしの場合は育休をとらずに息子が生後45日で職場復帰してました。もう思い出しただけで大変だったと・・。

 

自分の住んでいる江東区には0歳児は受け入れてもらえなかったので、夫の会社の近くの墨田区の無認可保育園へ入園。アトピーのひどい息子はミルクを受け付けず、毎日母乳を絞って冷凍パックに入れて持参。離乳食も半分くらいは手造りしていました。

 

東京とはいえ、大雪の降った年で、隣の墨田区まで仕事が終わると自転車で迎えに行ってましたが、帰りは雪がひどくなり、満員のバスに乗って帰ってきたり。台風のときには隅田川のうえで、おんぶの息子と一緒に大泣きしながら歩いたり。

 

それに、やっぱり女性の職場、いろいろな揉め事や中傷もありました。「子育てしながらの仕事は大変なのでは?」と自分の声もまわりの声も気がつくと、こころにズシンと重くのしかかるように。

 

1歳になるまでのこの一年間は、もう、もう、絶対に経験できないほど、いろんな経験をさせてもらいました。それはわたしの「宝物」です。その数年後に離婚、保育士を辞めて建築士宅建士になることに。このことは以前にも。

 

そんなアトピー&喘息の息子も結婚して子どももできて30才をすぎたお父さんに。いまでも少々のアトピーは残っているようです。離婚して母子家庭でしたので苦労はしましたけど、いまが幸せで安心です。

 

わたしは息子に、ちゃんと背中を見せられていたのかは、いまのところわかりません。でもあの経験があったからこそ、いまこうして、まったく別の建築士というお仕事をさせていただいていても、なんとか壁を乗り越えられるのかなと。

 

保育士から建築士に転職なんて、なかなかない経験です。でもね、人はいつまでも挑戦できるって思います。新しいことに立ち向かうのは勇気のいることだけれど。悩んでいても始まらない。先日読んだこの本にもそんなことが書いてありました。

 

これからの若者には読んでみてほしいな。

 

rainha-rie10.hatenablog.com

 

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