経験がつぎのあなたの生き方に大きな意味が持てるように
今週のお題「今の仕事を選んだ理由」
1月はあっという間にすぎましたね。そして2月も・・・個人的にはあまり気にしないというか。実際には「もう年が開けて何日たったのか」くらいにしか感じてなかったでした。
むかしは小正月にはお雑煮たべたり、神棚からお供え餅をおろしてカタモチにして油であげて食べたりしていました。(新潟だけでしょうか・・・)
節分には家族総出で豆まきしたり・・・。
そうそう、今週のお題「今の仕事を選んだ理由」でした。
小学生のころは書き初めなんかやったりして、念頭の決意を書いたいたように覚えています。(内容はとっくにわすれてしまいましたけど)
子供の頃の夢は「保育士」になることでした。女子はほとんどが保母さんで、男子はおまわりさん。けれども途中に体育系の学校に行っていたときは「保育士」よりも「体育の先生」にあこがれていた時期もありました。
ピアノを習っていたのと子どもが好きだったこともあって、あっさりと「体育の先生」の道はあきらめて保育士の道へと進みました。まあ受験がむずかしいのもありましたけど。そして就職。東京で保育士をしていたのは10年くらいでしょうか。
小さな下町の障害をもっている子どもたちと健常児のいり混ざっている保育園で働いていました。当時は勤務状態がひどくて、早番は早朝7時から。遅番は夜8時までの勤務。当然ながら心がつぶれそうでした。
そうこうするうちに自分にも子どもが生まれ。しかも強度のアレルギー体質とわかり、早番遅番はできなくなり。やむなく排気ガスに囲まれた東京をあとに空気のよい田舎に引っ込むことにしたのです。
ずっと続けていくと思っていた園長先生はじめ同僚からは非難轟々でしたね〜。でも自分で決めたことですから。
そして、いまの仕事でもある「建築士」をめざしたのは30才を過ぎてからです。(遅いといえばおそいです)わが家は三人姉妹で男っ気がありませんから、いわゆる「跡取りがいない」という環境です。
ずっとむかしから父は「俺の代でやめる」と言っていましたが「じゃあわたしケンチクシ取るわ」と以外にあっさりと決めて望んだ記憶があります。
勉強は嫌いでした。とくに理系が。高校時代はとくに。
建築士を受験するにあたっては、夜間の学校に通って、設計の専門学校にも行って、メチャクチャ勉強しました。そのかいあって1年目に建築士を2年目に宅建を取りました。終わってみたら33才でした。
保育士から建築士への180度の転換です。自分自身はそうでもなかったのですが、まわりはそうは思わず。女性の建築士もまだまだ少なかった時代なので、かなり偏見も強かったと思います。
それでも最初に設計のお話をいただいて、現場管理した物件はいまでも鮮明に覚えています。まあ、大工さんや業者にいじられながらの最初のお仕事でしたけど。
父の会社を継ぐまえに大手建築メーカーでも修行しました。業界的にはトップクラスのメーカーでしたが、試験勉強では知ることのできない、建築に関わるすべてのことをここで学ばせてもらいました。
その間も知合の設計事務所のお手伝いをしながらパースやトレースを覚えたり、大きなところでは小学校の体育館やプールの設計のお手伝いもしました。
建築士を取ったからといって、すぐには家業を継がず、最終的に会社をまかされたのは最近のことです。
建築というのは、まさに男の世界です。いまでもそんなに変わっていないです。昔気質の大工さん、おもに棟梁と呼ばれる人たちは女の意見なんて聞く耳もたないです。
やりにくかったですね〜。「おじょうちゃん」「きょうは化粧が濃いね〜」「男でも紹介しよか〜」「あんたじゃおきゃくさんにバカにされるど」などなど言われることが毎日でした。
父から経営を任されたとはいえ、いまだに引退した父へ文句がいきます。これもしかたのないことと諦めていますが、バブル期のむかしのよかった時代とはいまはまったく違うということ。
お客様からの紹介だけで仕事を続けてきた時代と決別できない父とはしばらく対立していました。(大塚家具みたい^^;)
そうそう、今日のお題は「今の仕事を選んだ理由」でしたね。またまた脱線しました。今にして思えば・・・。
三人姉妹で跡取りがいなかった・・・ことが建築士を受験した理由になるのかもしれません。しかし、たぶん子どものころから父の仕事をずっと見てきて、あこがれなのか?くやしさなのか?なにかしら思っていたのだと思います。
「男に負けたくない」という男勝りな部分があって、父に負けたくないという気持ちもあったと感じています。あーーだこーーーだ言う父を見返したい!!
建築士を受験した翌年に宅建を取得したのも、おそらくそんな理由です。
人生にはいくつかの転機があると思います。敷かれたたった1本のレールをただまっすぐに貫く人もいます。そんな方はエライと思います。わたしはそうではなかったです。
自分で望んで保育士になって、そしてやめて建築士になったことは後悔はしていないです。あの経験があったからこそ、建築士としてお客様に家を設計することにも経験が役立っているからです。
高校受験や大学受験から数十年経っての資格試験でしたが、さまざまな年齢層の人とも知り合うことができましたし、挫折もたくさん味わいました。これは私にとってのおおきな財産です。
仕事だけではなく、結婚や離婚や再婚をとおして人生の転機を迎える人もいます。それもきっとその人にとっては財産になると思います。
ずっと主婦をしている人も、習い事や子どもをとおしての親同士の人間関係など。生きていたら悩みは多いです。そしてそれも財産になります。
仕事を選んだ理由。結婚を決めた理由。新たな道へと進んだ理由。人にはそれぞれ、そのときに決めた理由があって、そんなことは他人にとってはまったく参考にならないことでしょう。
これから学校を卒業して、自分がなにをしたらいいかわからない・・・。そんな悩みを持っている方が多くいらっしゃるのだとしたら。
だれかの仕事を選んだ理由なんて参考にはならないです。自分で決めてほしいと思っています。なぜなら「人生は生きているかぎり、なんどでもやりなおしができる」からです。
だめだったらころころ職業を変えたらいいとは思いません。そうではなく「転んだら自分で立てる」ように失敗からもたくさん学んで次に活かしてほしいと思っています。
わたしのように職業を180度変換したものが言うのもおかしいかもしれませんが、勉強したことや経験は自分の血となり肉となって人生に厚みを増してくれると信じています。
仕事を選んだ理由が「楽だとおもったから」でもいいと思います。楽して仕事ができるのなら、それもまた人生です。
理由はどうあれ、そこでの経験がつぎのあなたの生き方に大きな意味が持てるようになってくれればいいなあと、思います。
自分の人生なのですから、自分できめましょう。間違っても仕方ないです。決めたことなのだから。諦めるのなら続けてください。そしてダメだったら、次のステップにいきましょ。人生にはたくさんの選択肢があります。
迷ったら考える。たちどまったら先を見る。楽しく面白く。そして素敵な人生を若いみなさんにも歩んでほしいと思います。頑張らなくていいです。「いまを生きる人」になってくださいね。(わたしからのオ・ネ・ガ・イです)
保育士から建築士へ仕事を転換したボニタプライアの堀澤でした\(^o^)/